2023年、大谷翔平選手が日本人初の本塁打王に輝くなど、メジャーリーグ 日本人選手が活躍するのも夢の話ではなくなりました。
そんなMLBには2024年から山本由伸投手、今永昇太投手、松井裕樹投手がそれぞれ挑戦し、MLBeatでも多くの情報がなされることになります。そしてもう1人、夢を持って海を渡る選手が日本ハムファイターズからタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだ上沢直之投手です。
上沢投手はマイナーからメジャーに這い上がっていくことになりますが、これは非常に狭き門です。
そこで今回はマイナーからメジャーに昇格した日本人選手について紹介していきます!
マイナーからメジャーに昇格した日本人選手
マイナー契約からメジャーデビューを果たした日本人選手は15名います。15名が多いのか、少ないのか、ですが、これは非常に少ない数といえます。
一時、野球留学という形で何人もの日本人選手がアメリカで研鑽を積みましたが、その中でもメジャー契約をしたのがほんの一握りなのです。
- 野茂英雄
- 村上雅則
- 柏田貴史
- マック鈴木
- 大家友和
- 斎藤隆
- 桑田真澄
- 高橋健
- 高橋尚成
- 中村紀洋
- 川崎宗則
- 田中賢介
- 村田透
- 多田野数人
- 大谷翔平
大谷翔平選手は25歳ルールによりマイナー契約となりましたが、今や世界を代表する選手です。
マイナー契約での入団からメジャー契約を勝ち取った選手3名
野茂英雄
野茂英雄投手は1994年オフに近鉄との契約交渉でアメリカ挑戦などもあり、難航して任意引退。その後、1995年2月13日にドジャースと契約金200万ドル(当時のレートで約1億7000万円)、年俸980万円のマイナー契約を結びました。
1ヶ月遅れで開幕した1995年シーズンはいきなりメジャー契約を勝ち取り、5月2日にジャイアンツ戦でMLBデビュー。そこから奪三振の山を築いて”トルネード旋風”を巻き起こし、オールスターゲームにも先発する大躍進を見せました。
この活躍はMLBでは通用しないとされた日本人選手の評価を大きく高めただけでなく、前年の長期ストライキの影響で観客離れの著しかったMLBの窮地を救いました。
斎藤隆
斎藤隆投手はNPBで長く第一線で活躍し、全盛期を過ぎてから2006年に36歳でドジャースのマイナー契約からMLBデビューを掴んでいる。他にも桑田真澄投手や高橋尚成投手も全盛期を過ぎてからのMLB挑戦となりました。
彼らに共通するのは、少ないチャンスを確実にモノにしたことです。スプリングトレーニングにマイナー契約で参加しても、ほか選手との兼ね合いでMLBの開幕ロースター入りが難しいケースは少なくない。それでもマイナーリーグで実直に汗を流したからこそ、巡ってきたほんのわずかなチャンスでしっかり結果を残し、メジャー昇格を果たしました。
なかでも斎藤投手は開幕直後にチームの主力クローザーの故障で3AからMLBに昇格すると、そこから好投を続けて1ヶ月後には正クローザーの座を掴み取りました。2年目にはオールスターに出場するなど、7年間で338試合に登板しました。
多田野数人
多田野数人投手はNPBを経由せず、立教大卒業後すぐにマイナー契約でインディアンズ傘下の1Aや2Aでプレーをしました。2年目の2004年4月に日本人21人目となるMLB昇格を果たし、そこから14試合に登板して2005年も1試合に登板した。
2007年まで再度MLBを目指してマイナーリーグでプレーしたが、2007年ドラフトで日本ハムからの1位指名を受けて入団。7年間プレーして80試合に登板、18勝20敗2ホールド、防御率4.43の記録を残しつつ、超スローボールの”多田野ボール”など記憶にも残る活躍をしました。
最後に
今回は活躍を続けるメジャーリーグ 日本人選手について、マイナー契約からメジャー契約を結んだ、狭き門をくぐり抜けた選手を紹介してきました。
マイナーは日本でいう独立リーグのような存在で、その中で勝ち抜かないといけない、非常に過酷な環境です。その中から勝ち抜いたからこそ野茂選手のような偉大な成績を残すことができたのでしょう。
2024年から上沢直之投手がマイナーからメジャーを目指すことになりますので、野茂選手のように這い上がり、他の日本人選手とMLBの舞台で投げ合う姿を見たいですね!